ソーバーキュリアスライフ

ソーバーキュリアス的「必要なもの」の見極め方

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必要と不要

飲みすぎて後悔するならば、自分にとってお酒は本当に必要なものではなかった。

今ならハッキリわかります。

しかし、どうして必要なものを見極めることができずに、無駄なものを体内に取り込んでは後悔する、ということを繰り返していたのでしょうか?

結論を先に言うと、自分の意思を詰めるのが甘かったから、ということに尽きます。

お酒の広告があふれている世の中でお酒を飲まない選択をするということ

この記事を書いている2024年時点では、まだ世の中にはお酒の広告があふれています。

また、「飲みニケーション」は死語になりつつあるかもしれませんが、まだ人との交流のためにはお酒が役に立つと考える人も多く、「懇親会」「親睦会」と称した酒席は絶えません。

そんな世の中において、「お酒が飲めない」ではなく、あえて「お酒を飲まない」という選択をするために必要なこと。

それは・・・

自分の欲しいものをハッキリさせること

それに尽きるのではないでしょうか。

また、その裏を返して「要らないものをハッキリさせること」とも言えます。

ビュッフェで皿をてんこ盛りにする人

社会派ブロガーのちきりん氏が、Voicyのポッドキャストの中で、非常に興味深いことに言及していました。

Voice of ちきりん

https://voicy.jp/channel/1295/298560
2022/3/31 #537 「選ぶもの」と「選ばないもの」を明確に分ける訓練が必要
ハッシュタグ:#202203c

このポッドキャストを聞いていただくと話が早いのですが、ザックリかいつまんで要点をいうと、ビュッフェでお皿をてんこもりにしてしまい、後で胃が苦しくて後悔する人は、「自分の食べたいものがわかっていないから」ではないか、と言うのです。

もちろん、「料金が変わらないならできるだけ多くとったほうが得」という心理が働く、というのも一つの理由でしょう。

しかし、それ以前に、自分の欲しいもの、あるいは要らないものがわかっていないから、たくさんの選択肢を目にすると、片っ端から全部取っていく、という行動になるのではないか、という推察です。

自分の意思を明確に持つということ

このようにビュッフェで皿をてんこ盛りにしてしまう人、私もよく遭遇します。

それも、そこそこ裕福そうな人も、こういう行動に走ってしまうところを見ると、やはりちきりん氏の言う通り、ビュッフェでお皿をてんこ盛りにする理由は「とらなきゃ損」という理由だけではなさそうです。

外側からのサジェストに頼り、「自分の声」を聴く習慣がないと、こういうことに陥りがちだ、というちきりん氏の指摘には、私も同感です。

なお、同ポッドキャストの中では、ビュッフェで食べるもの、という非常に小さな「選択」に始まり、人生設計のような大きな「選択」についても言及されています。

大人になったら恋愛をして、結婚をして、子供ができて、家を買って・・・という「右倣えの人生」でも、本人が納得しているのならば、何の問題もありません。

Select-人生は選択の連続

ただ、「世間的な普通」に世の中のすべての人が当てはまるわけはなく、その「世間的な普通」に倣った人のうちの一定数は、実は別の志向をもっていたのではないでしょうか。

またそれとは別のタイプとして、ハッキリと自分の志向を認識しており、自身の志向がマジョリティのそれとは異なることに気付いている人もいるでしょう

昔は、こういう人は「変わった人」としてみなされてきたので、時に攻撃の対象となったりして生きるのにいろいろ面倒くさかったかもしれません。

しかし、これからの時代は、個人が自分らしいライフスタイルを自分で選び、自分で創造していっても、あまり異端視されない時代になりつつあるのではないでしょうか。

そうなれば、どんなに世間が「流行りの店でお酒を飲むライフスタイルがイケている」と宣伝しても、だから自分もお酒を飲む、とはなりませんし、「仕事には飲みニケーションが必要」と言われも、自分がそれに同意できなければ、別の仕事に転職する、ということになります。

QOLは自分の必要なものだけを得て不要なものを排除することで実現される

そもそも、QOL(クオリティオブライフ)は、自分の意思を明確に持ち、それを実践することでしか得られません。

自分の声を無視して、我慢して、人に合わせることでは得られません。

今後、そのスピードはますます加速するでしょう。

幸いなことに、近年、多様性(ダイバーシティ)という概念が一般的になり、多様性を受容しよう、という流れになっています。

つまり、要らないものは要らないとハッキリ拒否してもいい。

ですから、「お酒ぐらい付き合えないようじゃ社会人として失格!」と言われたとしたら、「あ、あなたはそう思うのですね、では私とは価値観が違いますね。サヨウナラ。」ということが、以前に比べてずっとやりやすい世の中になってきているのです。

自分の人生のエネルギーを有効活用するには、「不要なもの」「不要な行動」を排除することも絶対に必要なんです。

お酒は「オプション」

さて、ソーバーキュリアス的「必要なもの」の見極め方ですが、とてもシンプルで簡単です。

お酒を飲んで後悔することがありますか?

お酒を飲んで後悔することがあるか否か

この問いに「YES」なら、本来自分にとって不要なものを、なぜか必要と思い込んで執着しているだけの可能性があります。

お酒は人生にとって必須のアイテムではありません。

あくまでもお酒は「オプション」です。

ですから、心からお酒を楽しめるのであれば、お酒をエンジョイすればいいでしょう。

それこそ酒造メーカーのいうところの「お酒の正しい付き合い方」というのが普通にできるのでしょうから、何も問題ありません。

しかし、1度でも「飲まなきゃよかった」と思うことがあったのであれば、依存する前に「サヨウナラ」と別れるというのも、これまた選択肢としてあります。

私の場合「私はこんな人生が欲しい」

私の場合は、かつては、ワインの豊潤な香りに魅せられてワイン愛好家として生きてきました。

しかし、今は、ワインの香りや、洒落た店でソムリエと気の利いた会話を交わす楽しみよりも、常に正気でいる人生を非常に心地よいと感じています。

私が欲しい生活はこんな生活です

  • 朝起きた時に前夜の記憶が全部ある
  • 人との会話に真摯に向き合う
  • いざ緊急事態が起きても的確な対応ができる確率が高い

朝起きた時に前夜の記憶が全部ある

ワイン愛好家だったころは、朝起床したときに前夜の記憶がまだらになっていることがよくありました。

これは精神によくありません。

過去として過ぎ去ってしまい、どうにもならないことを心配しなければならないのですから。

時間の無駄でもあります。

逆に言うと、朝起きた時に前夜の記憶がすべてある心地よい生活は、お酒を一切飲まないことで得られます。

人との会話に真摯に向き合う

酒に強い人にとっては、お酒を飲んでも目の前の人と真摯に向き合うことができるのかもしれません。

しかし、私はお酒を飲んでしまうと、ボーっと脳内がかすんでしまい、目の前の人と丁寧に向き合うことができませんでした。

だから、私にとってはしらふで相手と向き合うのが一番いいのです。

いざ緊急事態が起きても的確な対応ができる確率が高い

災害や事故が発生したときに酔っぱらっていたら、的確な対応ができるとは思えません。

私にとっては(多くの人にとっても?)冷静な判断をするには、正気でいる必要があるのです。

だからしらふ一択です。

まとめ・まずは自分と向き合ってみては?

もしかしたら自分は周りに流されていたかもしれない!と思うのならば、まずは、自分の意思を明確にすることを意識してもいいかもしれませんね。

人生設計のような壮大な「意思」ももちろん大事ですが、まずは「お酒とのかかわり方」という小さな意思を明確にしてみる、というのも非常に価値の高い行動です!

おすすめ

ちょっと古い本ですが、自分のアタマで考えよう―知識にだまされない思考の技術(ちきりん著)は今でも時々読み返す良書です。

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