HSPの傾向のある人にとって、飲酒がもたらす影響を考えたことがありますか?
私はもっと早く気がついていれば良かった!と思っています。
結論から言うと、HSP傾向にある人は、ソーバーキュリアスになったほうがより快適に生きられるような気がします。
ソーバーキュリアスとは
あえてお酒を飲まないことを積極的に選択する人たちのこと、および、そうしたライフスタイルのことを「ソーバーキュリアス」と言います。
Contents
そもそもHSPってナニ?
HSPはHighly Sensitive Personの略で、「繊細な人」「とっても敏感な人」を指す言葉です。
メンタルの専門家が口にすることも多いので「病気」だと誤解されやすいのですが、HSPは病気ではなく「個性」だと言われています。
また、生育過程で形成される個性ではなく、生まれ持った「気質」であると定義されています。
HSPという概念は、アメリカの臨床研究心理学者であるエレイン・アーロンが提唱しました。
以下のサイトに、自身がHSPであるか否かをチェックする「セルフチェック」がありますので、気になる方は試してみるといいでしょう。
http://hspjk.life.coocan.jp/selftest-hsp.html
The Highly Sensitive Personのサイトでは、HSPに関する「セルフチェック」ができます。
HSPとアルコールの関係あるある
私は、自分の性質として、非常に敏感なことは自覚していたのですが、あまりにも繊細過ぎることは「弱さ」あるいは「幼さ」だと思っていました。
また、そうした弱さは克服すべきものだと考えていました。
幼さは恥だとも思っていました。
ですから、そうした自分の繊細さを「認める」ということをあえてしてきませんでしたし、気丈にふるまい、繊細さは人に見せない、という選択をしてきました。
ただ、先にも書いた通り、HSPは生まれ持った気質だと言われています。
努力をしたところで変えられるものではないのです。
そしてその繊細さは欠点ではありません、誇るべき長所なのです。
ただ、そうした生まれ持った気質を認めずに、本来の自分の志向とは異なる行動ばかりを選択していたら、神経はすり減ってしまいます。
HSPが自分の気質に気がつかず、世の中に流されるようにしてアルコールと接すると、ちょっとした罠にはまってしまう可能性が多くあります。
それは、繊細であるがゆえに感じてしまう「いろんなこと」を麻痺して感じなくさせるために、無意識のうちに飲みすぎてしまう、ということです。
そう、意図してお酒を飲んで神経を麻痺させているんじゃないです。
無意識に飲みすぎてしまうんです。
これは本当に怖いことです。
飲み会を断れない
お誘いを断ったら相手に悪いんじゃないかと考えたり、はたまた断った時の相手のムッとした顔を先に想像してしまい、なかなか断れない、というのはHSPさん、あるあるです。
冷静に考えると、飲み会の誘いを受けるか受けないかということは、明らかに自分に選択権があることですから、自分の好きなようにすればいいだけですが、それがなかなかできないのがHSP。
また、HSPさんには優しい感じの人が多いので、断った瞬間、相手からすごまれてしまうとか、半ば強引に参加させられてしまう、なんて人も少なくはないはずです。
ちなみに私は、体調がすぐれない日が続いていたので、1週間先の会社の飲み会を断ったことがあります。
ところが幹事の人に「その日は役員も来るんですよ!何も召し上がらなくてもいいので1次会は着席してください!」とものすごい剣幕で言われ、しぶしぶ出席する羽目になりました。
でも、よく考えると、私が幹事のメンツを守るために、具合が悪いのに飲み会にでなきゃいけないのか意味不明ですし、パワハラも甚だしいです。
役員を呼んだ?
それ、私聞いてないですし、幹事のあなたが勝手に呼んだんでしょうが・・・
しかし、そうやって相手からすごまれるととっさに言い返せないのもHSPにはよくあることです。
こうして、「ホントはあんまり気乗りしないんだけどなァ」という飲み会やパーティにもなぜか参加する羽目になり、モヤモヤをごまかすためにか、無意識につい飲みすぎて、翌日は自己嫌悪・・・・
HSPさん、あるあるのパターンです。
ちなみに過去の私が、飲み会を上手に断れなかったは、自分の中に判断基準がなかったから、とも言えます。
今では、自分なりの判断基準を設けています。
今の私は1滴もお酒を飲まないというスタンスでいますが、自分にメリットがあると思えばパーティや飲み会にも参加します。
もちろんその際には、ジュースで参加です。
ちなみに、私の判断基準は以下の通りです。
必須事項
話したいと思える人の集まりか
嫌いな人が入っていないか
オプション
知的好奇心を満たす新しい出会いがありそうか
そこでしか聞けない話がありそうか
この判断基準を作ってからは、断るときは迷わず断ることができるようになりました。
大勢の人の集まる場所では話に集中できない
大勢の人が集まる場所では、自分が会話に参加しているグループではない「外」から聞こえてくる大きな声を拾ってしまい、目の前の話に集中できない、ということがよくあります。
私は、子供のころからこの傾向がありました。
この傾向もHSPにはよくあるようです。
HSPにとっては、泥酔客がいるような居酒屋だと最悪です。
酔客が騒いでいる声や物音に、常に神経をすり減らされますので、HSPは落ち着きません。
結果として、そこから逃げるために、やっぱり飲みすぎてしまう、という結果になりがちです。
嫌な人に嫌と言えない
嫌なものは嫌と言えばいい・・・ごもっともです。
しかし、HSPはその風情から、相手から強く出られがち。
先に紹介した「飲み会を断ったら、すごんできた幹事」のような人に遭う率も低くはないのです。
例えば、相手から嫌なことをされたときに、「私、そういうことされるの嫌だからやめてくれる?」と冷静にお願いすることはできますが、世の中は話が通じる相手ばかりではありません。
このように、相手をリスペクトしながら自分の意思を伝えたのに、そのあとに相手から逆ギレされるとより疲れますよね。
そういうことが積み重なると、相手が嫌なことをしてきても、「相手との接点をなるべく減らす」という方法でしか対処しなくなります。
なので、もし飲み会の席に、嫌な人がいたら・・・
HSPさんは、飲んで神経を麻痺させることで相手から逃げるのです。
それも、無意識に飲みすぎてしまうのです。
そりゃ、悪酔いするにきまってます。
だから、最初から嫌な人とは絶対に同席しない、というポリシーが必要なのです。
平成の時代は外交的な人が「イケてる人」だった
HSPのうち70%が内向型タイプ、残り30%が外向型タイプと言われています。
つまり、HSPのうち圧倒的大多数が「内向型」なわけです。
それなのに、平成の時代はおりしもバブル!
流行りの店に顔を出し、いろんな人からお呼びがかかる人が「イケてる人」という時代でした。
バブルが崩壊しても、そのような価値観は長いこと続いていました。
平成が終わってもCovid-19が襲来するまでは、会社の飲み会文化は未だ根強く残っていました。
つまり、世の中は「外向型」に合わせて作られていたとすら言えるのです。
私自身は「内向型」のHSPです。
自分とじっくり向き合ってみて初めて、「目的が分からないような飲み会やパーティ」なんて別に出たいわけではない、ということがわかるようになりました。
しかし、長いこと、そういう自分の気持ちに気づこうとしませんでした。
むしろ、いろんな人からお呼びがかかる自分でいないといけない、自分から積極的にいろんな人と関わっていかないといけない、となぜか思い込んでいました。
これは世の中のムードとか、そういったものに影響されたせいでしょう。
未だ鮮明に覚えていることが一つあります。
ある漫画家さんのエッセイに、「毎月、今月は何回お誘いを受けたか振り返るようにしている。その数が少ないと、自分はちょっとヤバいのでは、と身を引き締める。」といったような趣旨のことが書かれていました。
それを読んで、「そうか!私も方々からお呼びがかかるような人気者でいないといけないんだ。」とちょっと脅迫的に感じたことを覚えています。
HSPのような繊細な人が、人が集まるところに顔を出して、アルコールという刺激物を摂取するのですから、「より疲れる」というのは、今となってはよくわかりますが、当時はそんな自分に気遣うこともなく、世の中の大多数に合わせようとしていた、というわけですね。
自分にずいぶん無理をさせたんだな、と反省します。
HSPがお酒から離れると心の平穏が得やすくなる
HSPがアルコールを口にすると、無意識のうちに、飲みすぎてしまうことになりがちです。
それは、繊細であるがゆえに感じまくっている「不快」を消そうとするからです。
しかし、お酒は副作用が大きすぎるのです。
頭痛や吐き気、倦怠感といったフィジカルなものだけならまだマシです。
お酒の副作用は、精神もマイルドに破壊します。
それは、自己嫌悪という最悪の形で現れます。
よって恥ずかしいことを口走ってはいないか?醜態をさらしたのではないか?
そういう心配をする羽目になります。
いえ、単に心配するだけならまだいいのです。
実際に失言や失態をおかしてしまえば、長い期間自己嫌悪の念に苦しめられます。
だから、お酒とサヨナラする!と決めるのがいいのです。
お酒と決別しただけで、自己肯定感が上がる可能性が大きいのです。
もちろん、お酒をやめようと決めても、なかなかやめられないということもよくわかります。
私自身、何度禁酒をしたかわかりません。
しかし、お酒と離れることで、心の平穏が得やすくなります。
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飲み会は厳選し不要な飲み会は断れるようになる
お酒を飲まない、というスタンスになってしまえば、「お酒を飲むために飲み会に参加する」という口実はなくなります。
よって、飲み会やパーティの目的や意義について、じっくり考えることができるようになります。
そして、自分のポリシーに合わないような飲み会は思い切って断る、というマインドを培うこともできるようになります。
これが、お酒好きのままだと、飲み会のメンバーに「ちょっと苦手なアイツ」がいても、ふらふらと「まあいいか」のマインドで参加してしまいがち。
自分は、ソーバーキュリアスなんだ、と自覚すれば、無駄な飲み会で、お金と時間を無駄にしないで済みます。
いえ、お金と時間だけじゃありません。
「自分が良い気分でいられる時間」を長くできるのです。
本当に付き合いたい相手とだけじっくり付き合える
お酒は人との社交に必要不可欠なアイテム・・・なんかではありません。
必要な人とは、お酒がなくてもつながることはできるのです。
むしろ、丁寧に相手と接したいなら、お酒なんかで脳を麻痺させている場合じゃありません。
良質で快適な人間関係を構築するのに、ソーバーキュリアスでいることは最適です。
特に繊細な人にとっては、しらふの冷静な目で、厳選した良好な人間関係のみを維持していくことが、クオリティオブライフを向上させるうえで必須です。
嫌なことに遭う確率を減らせる
世の中には、お酒が絡んだトラブルは多くあります。
単純に考えて、お酒が提供される場所から離れているだけで、トラブルに巻き込まれる可能性がグッと下がります。
普通の人が、不快と感じないレベルのことでも、繊細な人にとっては不快だと感じ、ものすごくストレスに感じることもあります。
ですから、繊細な気質な人には、夜のお酒の匂いのする場所から離れているほうが、何かと都合がいいのです。
まとめ・繊細さを自覚したらお酒との距離を再考
自身の繊細さを自覚したら、お酒との距離を再考する価値はあります。
いったん、しらふの頭で、お酒とサヨナラするメリットを考えてみませんか?
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ソーバーキュリアスとは新しい価値観です
※アフィリエイト広告を利用しています ソーバーキュリアスの言葉の定義 あえてお酒を飲まない、しらふでいることを積極的に選択する人たちのこと、および、そうしたライフスタイルのことを「ソーバーキュリアス」 ...
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