ソーバーキュリアスを継続するために、刺激が欲しい時の代替品としてコーヒーを飲んできました。
いまでもコーヒーはおいしいと感じます。
しかし、加齢に伴ってなのかなんなのか、コーヒーを飲むとどうも体がおかしい、ということが続くようになりました。
そこで2026年2月24日、思い切って、コーヒーをやめることにしました。
「大好きだったコーヒーをやめる苦渋の決断」といった感情論はありません。
もともとコーヒーに対して特別な執着があったわけでもないからです。
ただ、客観的な事実として、現在の私の体質というシステムに対して「コーヒー」という入力値を投入すると、尿意、冷え、睡眠の質の低下といったエラー(不具合)が頻発するようになったからなのです。
ちなみに、「コーヒーをやめる」というと「カフェイン断ち」と混同されることがありますが、私の目的は、そこじゃありません。
カフェインをやめるつもりはありません。
ですから、紅茶やほうじ茶のように、カフェインの入っている飲料はこれからも飲み続けます。
ソーバーキュリアスとは?!
Contents
冷え性とザワザワする精神
コーヒーを飲んだ際に発生するエラーには、いくつかの種類があります。
まず一つ目は、物理的な体温の低下、つまり「冷え」の問題です。
コーヒーには体を冷やす性質があると言われていますが、最近の私はそれを顕著に感じるようになりました。
温かいコーヒーを飲んでいるはずなのに、飲み終えた後、かえって指先がスーッと冷えていく感覚や、胃のあたりがヒヤっとするような感覚が顕著に出るようになりました。
自分の冷え性というベースラインに対し、コーヒーという入力が明らかに悪影響を及ぼし、システムの稼働効率を下げてしまっているのです。
二つ目は、精神面でのエラーです。
適度なカフェインは集中力を高めてくれますが、最近は、そのブーストが過剰に効くように感じられるようになりました。
集中という領域を通り越し、理由もなく気分がザワザワと落ち着かなくなる独特の焦燥感に襲われるようになったのです。
メンタルの安定は日々のパフォーマンスにおいて最優先事項ですが、コーヒーはその安定を削り取るノイズとなってしまいました。
このように、体温調節と精神の安定という二つの重要なパラメーターが乱れることが、コーヒーを排除すべきエラーだと判断した大きな理由です。
「コントロール不能な尿意」と「睡眠の崩壊」
身体的な違和感だけでなく、より実務的、かつ深刻なエラーも発生するようになりました。
それが「コントロール不能な尿意」と「睡眠の崩壊」です。
きっかけは、会議中に襲いかかる深刻な尿意でした。
仕事のパフォーマンスを最大化したい場面において、身体のコントロールを失うリスクは、プロフェッショナルとして許容できません。
ある日、会議の3時間前に2杯のコーヒーを飲みました。
万全を期して会議の1時間前、そして直前にもトイレを済ませたのですが、いざ会議が始まるとわずか30分で猛烈な尿意に襲われたのです。
集中力は完全に削がれ、もはや思考どころではありません。これでは何のためにコーヒーを飲んだのか本末転倒です。
ちなみに、緊張ゆえの尿意か?とも思ったのですが、60分の会議を終えてトイレにダッシュ!したところ、いつもよりもかなり多めの尿が出てびっくりしました。
会議前の3時間は一切水分をとっていないのに、そして、会議の1時間前と会議の直前にもトイレに行っているのに、それでも会議終了後にかなり多めの尿がでたのです。
さらに、コーヒーの常飲には、QOL(生活の質)を著しく損なう睡眠への影響もありました。
ある休日のことです。
私は、朝から夕方まで、あちこち歩きまわっていました。
出かけるとどうしても「歩き疲れたのでカフェで一休み」ということがしたくなりますよね?
その日は、午前中にコーヒーを一杯、午後昼食後に一杯、そして、夕方五時ぐらいに一杯、と、合計三杯のコーヒーを飲んだのです。
これは、私としては「ちょっと多い」摂取量でした。
そしてその日の晩は、目がギンギンに冴えわたり、一切眠れなくなるという事態に陥りました。
体は疲労しているのに、意識だけが不自然に覚醒し続けているというかなりつらい状態でした。
さらに、追い打ちをかけるように朝まで何度もトイレに立ち続けることになりました。
たった数杯の飲料が、これほどまでに翌日のコンディションを破壊してしまうのか!と思い知ったのがこの時でした。
そして、このリスクを負ってまで、コーヒーを飲み続ける合理的な理由はどこにもない、という結論になったのです。
なぜ「紅茶」と「ほうじ茶」が最適解か
コーヒーという変数を排除した後、次に検討すべきは「何を入力値として選ぶか」です。
私は自身の体調エラーを分析し、紅茶とほうじ茶をその最適解として導き出しました。
カリウム含有量のコントロールと「見分け」の戦略
コーヒーが引き起こす強烈な尿意の正体は、カフェインだけではありません。
含まれる「カリウム」の量も大きな要因です。
当初は緑茶も候補に挙がりましたが、ここには一つ大きな「罠」があります。
一般的な緑茶であれば問題ありませんが、「玉露」になるとカリウム含有量はコーヒーに匹敵するレベルまで跳ね上がります。
外出先やカフェで提供されるお茶が、果たして安全なレベルの緑茶なのか、それともリスクの高い玉露に近いものなのか、見た目だけで判別するのは困難です。
一方、紅茶やほうじ茶は、一般的な製法においてカリウム含有量が安定して低く抑えられています。
外食時でもリスクを最小限に抑えられるという点で、これらを選ぶのが最も安全で合理的な戦略となりました。
「発酵」が冷え性を救う
次に注目したのが、茶葉の製法です。
紅茶は「完全発酵茶」、ほうじ茶は「強火で焙じられた茶」であり、これらは漢方的にも体を温める性質を持つとされています。
前述した、コーヒーを飲んだ後の「胃がヒヤっとする感覚」や指先の冷えを回避するためには、この「温める性質」が欠かせません。
実際にこれらに切り替えてからは、飲んだ後に体温が奪われるような不具合は解消されました。
カフェインの「中庸」を狙う
最後に、カフェインとの付き合い方です。
冒頭で述べた通り、私はカフェインを完全に断ちたいわけではありません。
紅茶やほうじ茶に含まれるカフェイン量は、コーヒーのおよそ半分程度です。
この「半分」というバランスが絶妙でした。
目がギンギンに冴えて眠れなくなるような過剰な覚醒や、気分がザワザワする焦燥感を防ぎつつ、日中の仕事に必要な適度な集中力だけを維持してくれます。
まさに、私にとっての「中庸(ちょうど良いライン)」だったのです。
「美味しい」が正義だが、妥協も必要
機能的なエラーを排除し、ロジカルに代替案を選びましたが、最後に残る課題は「嗜好品としての満足度」です。
現実的な問題として、街中のカフェの現状もあります。
コーヒー専門店は数多くあれど、紅茶やお茶の専門店は限られています。一般的なカフェでは、コーヒーには力を入れていても、紅茶やほうじ茶は「間に合わせ」のようなクオリティであることも少なくありません。
しかし、そこは割り切りが必要です。
外出先で注文する紅茶は、味を追求するのではなく、あくまで「その場所でくつろぐための代金(場所代)」だと考えるようにしています。
その代わり、自宅で過ごす時間には徹底してこだわり、厳選した質の高い茶葉を用意して、本来の美味しさを享受するようにしています。
この「外での割り切り」と「内でのこだわり」の使い分けが、新しい習慣を継続させるコツでもあります。
「機能性(体への影響)」を損なわず、かつ「嗜好性(美味しさ)」を諦めない。
この二つを両立できる唯一の着地点が、私にとっては紅茶とほうじ茶でした。
まとめ:欲しかったのはホッとする時間だった
振り返ってみれば、私が欲しかったのはコーヒーそのものではなく、作業中の適度な集中力や、カフェで一息つく時間だったのだと気づかされました。
かつては当たり前のように摂取していたコーヒーという変数を、今の自分に最適な「紅茶」や「ほうじ茶」に置き換えました。
それだけのことで、会議中の尿意に怯えることも、夜中に目がギンギンに冴えて絶望することも、指先の冷えに悩まされることもなくなりました。
不具合の出始めた古い設定を捨て、現在の体質に合わせてアップデートを行う、それは自分自身のコンディションを自分自身でコントロールできている、という確かな充足感をもたらしてくれました。
不具合だらけのシステムを最適化した今、ようやく心穏やかに、一杯の温かいお茶を楽しむことができています。