お酒好きの人によくあるのが、劇場で何かの演目を見る幕間(まくあい、休憩時間のこと)にアルコールをひっかけたり、映画館やホームシアターで映画を見る時のお供にアルコールを用意する、ということです。
しかし、あらためて考えると、これって結構もったいないことですよね。
劇場の幕間では必ずワインを飲んでいた過去の私
私は時々、お芝居やダンスを見るために劇場に行くのですが、ワイン愛好家だった頃は、必ずと言っていいほど、開演前、幕間(まくあい、休憩時間のこと)に、バーでワインをオーダーし、そして、終演後は、ワインバーに繰り出す・・・ということをやっていました。
もっとも、開演前や幕間は、それほど時間があるわけではないので、せいぜい飲んでも、1-2杯程度です。
ですから、完全に酔っぱらってしまい舞台で繰り広げられているパフォーマンスが全く記憶に残らない、ということはないのですが、しらふがノーマル化した現在、あのとき飲まないことを選択していたら、もっともっと作品を味わえたはず、と思うのです。
しかし、当時の私にとっては、劇場という非日常の空間で、シャンパンやワイングラスを傾けている、というのが「イケている行為」だったわけです。
はい・・・、なんとも痛々しい勘違いですね。
また、劇場の幕間のトイレは混みあいます。
日本では、劇場に足を運ぶのはなぜか女性が多いので(※男性も舞台芸術に馴染めばいいのに!)、女性トイレに行列ができます。
40代以降の方はわかるかもしれませんが、歳をとるごとにアルコールによる利尿作用がダイレクトに響き、すぐにトイレに行きたくなるという問題に悩まされるようにもなりました。
最初から飲んでなければ発生しない問題ですね。
ワイン片手に映画鑑賞で後半のストーリーを覚えていない過去の私
映画鑑賞、特にホームシアターで映画を鑑賞していた時によくあったのが、お酒を飲みながら映画鑑賞をしていたので、映画のストーリーの後半を全く覚えてない、ということでした。
昔は家で映画鑑賞というと、たいてい片手にワイングラス持ってましたが、そうなると、ストーリーの後半はおぼろげだったりするんですよね。
しらふで、最後まで味わうほうが、素敵です。
— ソーバーキュリアスオンライン (@SoberCuriousOL) August 26, 2021
劇場の場合、上演中は飲食ができないので飲み過ぎることはありませんが、自宅で映画を見る場合、映画を鑑賞している最中もなんの制限がありませんので、結果として飲み過ぎることになるのです。

映画を見たはずなのに、どんなストーリーだったか記憶が無い・・・
本当にこの失敗は、何度繰り返したかわかりません。
しかし、何度失敗しても、いざ映画を見始める時には、「今回は大丈夫」「前回は後半のストーリー覚えていないけれど、今回はそんなことはないようにする」と思いながらワインコルクを抜栓していたのですから、本当に愚かとしか言いようがありません。
アルコールとは、かくも人間を愚かにしてしまうものなのですね。
しらふだとエンタメや芸術を100%味わえる
芝居・ダンス鑑賞や、映画鑑賞の際に、しらふでいることがノーマル化すると、これまで感じなかったような感覚も得ることができるのだな、ということに気がつきました。
冷静に考えれば、それも当たり前ですね。
酔っている状態では、意識がもうろうとしているのですから、作品から受け取る情報も半分、いえ、半分以下になってしまうでしょう。
エンタメや芸術というのは、人間を豊かにするためにあるはずですが、せっかくのエンタメや芸術も、お酒が入ったら「話半分」になってしまうので、非常にもったいないことなんですね。

2021年8月の東京文化会館ロビー

2021年8月の東京文化会館のバー。感染症流行によりバーは閉鎖されていましたが、かつてはここでシャンパンなどお酒もふるまわれていました。
少し乱暴な結論を言うと、エンタメや芸術を味わうには、アルコールは邪魔、ですね。
一部のものすごくアルコールに強い体質の人を除けば、アルコールにより、感覚が鈍ってしまうのですから、どんなに良質のエンタメであっても充分に味わいつくすことができません。
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